自転車で100キロ走った話⑪
天竜川を越えるとなんとか急に浜松感がすごい。
橋を渡りながら、地図無しでどう行くかのルートを思い浮かべる。作戦はこうだ。
①とりあえず、アクトシティ浜松を目指す。ハーモニカを模した市内で最も高い建物はJR浜松駅と隣接しており、アクトシティ浜松まで行けば、線路沿いを進むことができる。そして、浜松市内ならだいたいどこからでもアクトシティを発見できるため、迷わない。なんなら、磐田ぐらいからアクトシティは見えていた。
②線路より南側を、西へ進む。線路は絶対に弁天島駅に繋がっているため、線路と海の間を進めば間違いなく弁天島まで行けるはず。
夕陽の浜松を進む。傾いた陽にシルエットとなったアクトシティを目指す。流石に栄えている街は、人も多いし、さっきまでの自然を感じない…。しかし、舗装された道はずいぶん走りやすい。
思いの外、早めにアクトシティに到着。やはり整った街はロードバイクだと速い速い。陽が沈む前に最終工程にイン。
あとは、ここから浜名湖まで。
日没。空は濃い紫色になり、住宅街は時折、換気扇から晩御飯の匂いを漂わす。
…次第に曇っていくメンタル。知らない町で夜を迎え、向かう先は正しいと信じながら、何も見えなくなる道中。気温も下がり、肌寒さは一層強くなる。
住宅街も抜け、浜名湖に近づいてくると、いよいよ灯りもなくなる。真っ暗な土地を、ただ自転車のライトと、時々横を過ぎる車のライトだけが一瞬照らす。辺りは畑のようだ。
なんか、泣きそうだ。寒いし、何も見えないし、見えないから近づいている実感もない。こんなことして一体何になるというのか?ほら、行き止まり。Uターンをして、どっちに行けばいいのよ…。
方向感覚を頼りに、道を変えて進み始める。しぼんだメンタルが回復してくるのは、意外な出来事からだった。
後ろから、同じくロードバイクのおじさんが抜かしてくる。颯爽と過ぎるその背中は迷いがなく、この道が正しいと教えてくれるようだった。
なぜかそれだけで「よし、あの人についていってみよう」と気持ちが上がってきた。そして、程なくして見える「弁天島」の文字。
おお!ついに!この三文字をどれだけ待ち望んだか!予定時刻にも間に合う!どうやらこの先の橋を渡るとゴールらしい。やっと…着いたか…。
浜名湖に掛かる橋を渡り、ゴール!頑張った!速度を落とし余韻に浸る。同時に、脚に来ている疲労に気づく。おお…そりゃ素人がいきなり頑張ったらそうなるわな。
夜の弁天島は駅の灯りと、駅前のホテルと、暗闇の中でぬらぬらとしている浜名湖に囲まれ、何とも不思議な空間になっていた。
寒いのでコンビニにイン。スマホを確認すると弟から連絡が。
「ごめん。一時間ぐらい遅れる」
泣きそうになりながら浜松を漕いだ時間を返してくれ!おい!
次回がラスト
自転車で100キロ走った話⑩
掛川山中でパンクからの、市街地まで歩いて自転車屋を探し、やっとこさ見つけたころには大幅ロス。
予備のチューブを購入し、いざ再出発!
本当は掛川城とか見ていくつもりだったが断念。西へ向かう大きな道路沿いをひたすら進む。
準備は身軽に、しかし不慮の事態に備えておく必要性を再認識しながら、再び調子を上げていく。
北に山を、南にも山を、西には地平線を。
次第に空も赤みがかって来る。国道はそろそろ仕事を終えて帰路に着き始めた車が増えて来る頃か。
掛川から磐田までは、次第に暮れ始める陽を眺めながらゴールへの想いを馳せる。幼いころ、親に連れられてきた初詣の山も、サックスブルーのサッカーチームのホームタウンも、チラ見しながら行く我が道。
知らない土地の夕方は、何故か過去を思い出させる。しかし、足を止めることはない。風景よりも、過去から今へ、ペダルを漕ぐ気分。
ふと、突然現れる天竜川。
ここを渡れば、いよいよ最終の、浜松市。
長かった…のか?方向感覚だけで、知らない土地をよく来たもんだ。
あとは、天竜川から浜名湖弁天島まで。
弟と合流を予定しているホテルには午後7時までに行けば良い。途中でロスったけど、何とか間に合いそうだ。
自転車で100キロ走った話⑨
道の駅でとろろそばを摂取し、西へ向かい再びペダルを漕ぎ出した矢先、前輪の空気圧が低く、フラりとする。
へいへいと携帯空気入れでポシュポシュし、再び進み出すと、またすぐにタイヤがしぼむ…。
その瞬間、一気に血の気が引いたのを覚えている。
え?下ってきたとは言え、まだまだ市街地には程遠い山あいの道の駅で、パンク?
何度も確認するも、その度に淡い期待が悪い確信に変わっていくだけであった。
そういや、昼飯の前の下りで岩を気にせず踏んでいったな…。
あー…、ここから歩いて市街地まで出て、パンク直して行くのか。予備のチューブを持たなかった自分が悪いけど…へこむし、時間間に合うのか?
ひたすら山あいの道を下り方面に歩き、掛川駅の方を目指す。掛川のどこに自転車屋があるか知らんし…見つかるの?
すいぶん長いこと歩き、JRの高架近くにコジャレたサイクルショップを発見。祈る思いで入店すると、痩せた60歳ぐらいの男性が。
「パンク?急ぎ?なら、すぐやっちゃうよ」
なんてありがたい!なんて頼もしい!
ついでに予備のチューブ買ったろ。
しかし、これで一時間程度のロス。間に合うの…?
20200806 釣りに行った
もんげー久しぶりに更新。
今年の夏は控えめに、と思い近場(といっても一時間半)にイン。
前回来たときはシーズンが浅くボウズを喰らったが、環境的には魚が集まるんだろうと思われる。浜あり、外海あり、ゴロタありの港。
とりあえず、時間もないし浜と外海の間ぐらいからイソメを投げる。
着底の瞬間、ビビっとあたりが。軽く合わせて巻いていくも、乗らず。イソメは跡形もなく食い尽くされている…。
その後も投げる度に、当たり&引き&エサなし。フグのような強さもなく、キスのような安定した当たりでもなく。
8月…この中途半端な当たり…連続性。ああ、チャーリーか。チャーリーだろうな。
そして、大きいハリスを頑張って食べたチャーリーがやってくる。夏だ!チャリコだ!エサ取りだー!
いやー、魚が好きなだけで釣りをしている身としてはチャリコだって嬉しい!青い点々がまた、ね。
ついでに足下でミニミニガッシーを追加。
本来はキス狙いなのだが、ゲストもちょい投げの魅力ですよね。一時間もない短時間釣行だったが、チャリコ達が遊んでくれると飽きない飽きない。
久しぶりに魚に会えて癒されました。
水泳の後の国語という
議員が軒並み寝ている画像を見て、ふと、デジャブを感じた。そして、自分の10~20代を振り返ってみることにした。
まず、中学二年のころ。水泳の後は必ず「理科」だった。夏、泳いだあとの電流電圧の勉強は、聞く睡眠薬でしかない。俺はいつも理科室の端寄りの席で眠気と格闘していた。
当然、理科のテストの結果は芳しくない。親から塾へ行くように言われ、家から自転車で20分ぐらいの街中のビルにある塾に通うこととなった。
結果、中学三年の冬、数学が県で一位になった。(公立中学統一模試的なやつ。数学かい。)
俺は数学を武器に地域で二番目の公立高校に進学した。そこそこの進学校である。
そして、中学二年の同じタイミングで同じ塾に入ってきた子と付き合い始める。そして、現を抜かしすぎ、高校二年の頃、数学が校内順位最低になる。そして別れる。
高校三年。だらだらと過ごすも文系三科目のみで偏差値50とかいう立地・学力共に日本ど真ん中の私立大学に特待生で受かる。運が良すぎる。
経済学部で四年間過ごす。年上の恋人の家に入り浸りながら単位だけは確保する、THE・私文の学生。社会人の彼女のお金で彼女の地元に遊びに行き、「親の知らない女性のお金で日本の果てまで来てしまった…」と言ったら笑ってくれた。
地元の私鉄グループに入社。採用倍率50倍とかいうハードルを運で潜り抜ける。ハードルを越えるのではなく、潜り抜けたが正しいと思われる。後に発覚する採用理由は「説明会に来ていた男子の中で一番顔が良かったから。」だそう。もはや試験ですらない。説明会の時点で顔パス。ここでも運でしかない。
数年後に転職。ヘッドハンティングで一部上場の大手不動産へ。採用理由は「初対面の副社長と話が盛り上がったから。」ここでも運でしかない。ハロウィンの装飾の仕事が現在の上司の好みに刺さったらしく、「美大とかそっち系?」とか「脳ミソ理系でしょ?」とか言われるも、もはやよくわからない。美大ではない。
現在に至る。
こうして見ると、水泳の後が理科であったことが、今の人生に繋がる外的要因の一つなわけだし、そこから生まれる選択の積み重ねが、数えきれない人生のレールの中で、今の自分に繋がる一つだったという。
なんて中二みたいなことを言うが、はっきりしていることは「人生ここまで運で生きてきた」ということ。水泳の後が理科だったことも、運が良かったのだろう。そのうちもの凄い不幸が起きそうで怖い。
…なんだこれ?笑
どうぶつの森の思い出①「激しいバッシング」
最近、スイッチで新作が発売された、任天堂の人気シリーズ「どうぶつの森」
この中でも、ゲームに欠かせない「住民」要素。
個性豊かな動物たちに一喜一憂することがこのゲームの肝なのだが、他聞に漏れず、自分も動物たちにヒエラルキーを付けてきた。
ということで、子供の頃三兄弟でやりこんだゲームキューブ版の「どうぶつの森+」にて、
こいつはカス。
こいつは親友。
といった具合に定められたヒエラルキーの中でもボトム オブ ボトムを記録した伝説の住民をエピソードとともに紹介しようと思う。
【名前:グレオ】
ゲームキューブ版では、プレイヤーは4名まで登録可能であり、一戸建てが4軒集まっている区画に住んでいた。
会村当時、自分も含めた三兄弟の住む区画のすぐ隣に「ポーク」というシンプルな豚が住んでいた。
お隣さん、そして、初期メンバーということで手厚く飼育されてきたポーク。ある日、弟がポーク宛の手紙を書いたが、その日は郵便局が閉まっており、翌日改めて訪ねることになった。
しかし、翌日、ポークは突然出荷された。(引っ越し)
「ポークさんへ」というタイトルの手紙は、宛先不在のまま、捨てることもできず、永遠にレターボックスに格納された。兄弟たちは大いに彼との別れを惜しんだ。
数日後、ポーク宅の跡地に越してきたのが、
グレオ
であった。
その衝撃たるや、筆舌に尽くし難かった。
健全なポークが、あたかも「グレて帰って来たぜ」と言わんばかりの、ガラの悪い豚。豚が去って豚が来たあたりも対比を一層濃くさせた。
当然、手厚く保護してきたポークに反比例するごとく、グレオに対するバッシングは加速していった。
「おい。お前、ポークのなんなのさ」
その日から、幼き三兄弟によるグレオ叩きが始まった。
①罵詈雑言の手紙
「ポークを返せ」「タヒね」「引っ越せ」といった暴言を三人揃って隣に住む豚に送りつける毎日。しかし、グレオ本人は「これ、◯◯から貰った手紙なんだけどよ…」と言って、他の兄弟が送りつけた悪口をこれ見よがしに見せつけてくるのである。
「兄さん、こんな手紙じゃグレオはまだ耐える。だめだ。」
ぺリオは毎日毎日、大量のグレオ様宛の手紙を運び続けた。
②ゴミ
ゲームキューブ版ではゴミの集積場があった。しかし、魚の代わりに時折釣れる「空きカン」「長靴」なんかを、グレオの家の周囲に放置しておくのである。みるみる間に、グレオの家はゴミに囲まれた。意図せず、自宅のすぐとなりはゴミ屋敷となった。
ゴミ屋敷から出てくるガラの悪い豚…。
ゴミ屋敷の入口で立ち寝する豚…。
③落とし穴と網
グリグリ押して、怒らせ、落とし穴に落とし、網で叩く。結局ここに行き着く。
ゴミ屋敷周辺で繰り広げられる、ガラの悪い豚のシバき。そしてぺリオ達は、今日も罵詈雑言を運ぶ…。
もはや、どうぶつの森なのか?子供とは恐ろしいものだ。自分だが。
風向きが変わったのは、兄弟達が村の緑化に目覚めたときだった。当時は村の神社で「◯丁目の◯番地は緑が少ない」みたいなご教示を受けることができた。
ある日、神社から「◯丁目の◯番地がクソ汚いです」というお告げを受け、「は?そんなとこあったか?」と現地へ急行すると、そこには大量のゴミが放置された豚小屋が。
きたねーwwww!!
しょうがない…片付けよう…。木を植えよう。
そしてしばらくして、憑き物がとれたようにこんな風潮が始まった。
「別に、グレオ何もしてなくね?」
そう、グレオは何もしていないのである。ポークのあとに引っ越してきただけの、ただの豚である。
波瀾万丈を経て、やがてグレオも引っ越しの準備を始めた。
段ボールに囲まれて「おう、俺もそろそろ新しいとこに行ってみようと思ってよ…」みたいなセリフを吐くグレオ。
行かないで!
→バイバイ!
もちろん、引き留める村人はいなかった。
牛丼について
アラサーに差し掛かり、牛丼の好みが変わった。
具体的には、重たくなった。
そして、重さを打ち消すために
あいつの分量が大幅に増えた。
そう、紅生姜である。
そして、牛丼の好みが紅生姜ありきに。
ということで、突然紅生姜に取りつかれた
サラリーマンの個人的牛丼ランキングである。
3位
すき家
学生時代一番食べた牛丼。
量や豚丼のクオリティは一番だったが、
紅生姜があと一つ。
固さ、酸味がどうも違う。
突然のすき家叩きをしたいわけではない。
2位
松屋
味噌汁が着いてくるのでずるい。
1位
吉野家
紅生姜の柔らかさ、酸味、水気が牛丼とやたら合う。
やたら合う!
牛肉と一緒に噛んで味と食感のバランスが
一番マッチする。
…うん。そんな感じかな。
とりあえず、牛丼は安くて早くて美味いよ!