giyamann blog

自然と家族を愛するリーマンの日常(という名の現実)ってこんなもんなんでしょうか? ~ペット・写真や釣り・料理・その他~

水泳の後の国語という

議員が軒並み寝ている画像を見て、ふと、デジャブを感じた。そして、自分の10~20代を振り返ってみることにした。


まず、中学二年のころ。水泳の後は必ず「理科」だった。夏、泳いだあとの電流電圧の勉強は、聞く睡眠薬でしかない。俺はいつも理科室の端寄りの席で眠気と格闘していた。

当然、理科のテストの結果は芳しくない。親から塾へ行くように言われ、家から自転車で20分ぐらいの街中のビルにある塾に通うこととなった。

結果、中学三年の冬、数学が県で一位になった。(公立中学統一模試的なやつ。数学かい。)

俺は数学を武器に地域で二番目の公立高校に進学した。そこそこの進学校である。


そして、中学二年の同じタイミングで同じ塾に入ってきた子と付き合い始める。そして、現を抜かしすぎ、高校二年の頃、数学が校内順位最低になる。そして別れる。

高校三年。だらだらと過ごすも文系三科目のみで偏差値50とかいう立地・学力共に日本ど真ん中の私立大学に特待生で受かる。運が良すぎる。

経済学部で四年間過ごす。年上の恋人の家に入り浸りながら単位だけは確保する、THE・私文の学生。社会人の彼女のお金で彼女の地元に遊びに行き、「親の知らない女性のお金で日本の果てまで来てしまった…」と言ったら笑ってくれた。

地元の私鉄グループに入社。採用倍率50倍とかいうハードルを運で潜り抜ける。ハードルを越えるのではなく、潜り抜けたが正しいと思われる。後に発覚する採用理由は「説明会に来ていた男子の中で一番顔が良かったから。」だそう。もはや試験ですらない。説明会の時点で顔パス。ここでも運でしかない。

数年後に転職。ヘッドハンティングで一部上場の大手不動産へ。採用理由は「初対面の副社長と話が盛り上がったから。」ここでも運でしかない。ハロウィンの装飾の仕事が現在の上司の好みに刺さったらしく、「美大とかそっち系?」とか「脳ミソ理系でしょ?」とか言われるも、もはやよくわからない。美大ではない。

現在に至る。

こうして見ると、水泳の後が理科であったことが、今の人生に繋がる外的要因の一つなわけだし、そこから生まれる選択の積み重ねが、数えきれない人生のレールの中で、今の自分に繋がる一つだったという。

なんて中二みたいなことを言うが、はっきりしていることは「人生ここまで運で生きてきた」ということ。水泳の後が理科だったことも、運が良かったのだろう。そのうちもの凄い不幸が起きそうで怖い。


…なんだこれ?笑